ミャンマー株、コロナ禍の外国人取引解禁 日本が支援するヤンゴン証券取引所の試練

北角裕樹(ミャンマー在住ジャーナリスト)

 4年前に始まったばかりのミャンマー初の株式市場、ヤンゴン証券取引所は、日本の官民の支援で設立され、日緬(にちめん=日本とミャンマー)合弁の形をとる世界でも珍しい証券取引所だ。同取引所は2020年3月、これまでミャンマー人に限られていた売買を外国人に開放した。時を同じくしてミャンマーで新型コロナウイルスの感染が見つかり、取引開始が遅れたほか、証券会社の一部店舗が閉鎖されるなど混乱の中での出発となった。困難に直面しながらもミャンマー株の取引が解禁されたことで、日本人にとっても新しい投資先が増えた形になる。

日本が官民挙げて設立支援
 近年、中国株やベトナム株こそ投資先として注目されているものの、ミャンマー株について詳しい読者はほとんどいないと思うので、経緯を説明したい。ヤンゴン証券取引所の取引開始は2016年3月で、生まれたばかりの株式市場である。しかし、その20年以上前から、日本の大和証券グループがミャンマーに株式市場をつくるための支援を開始していた。

 大和がミャンマーに接近したのは、1990年代初頭。当時の軍事政権から証券取引所の立ち上げへの支援を依頼された大和は96年、ミャンマー経済銀行と合弁の形で「ミャンマー証券取引センター」をヤンゴンに開設した。同センターは証券会社であるとともに、将来的に証券取引所に発展させる計画だった。

 しかし翌97年、アジア通貨危機が巻き起こり、タイ?バーツや韓国ウォンなどがヘッジファンドの空売りの標的となって暴落、タイや韓国は国際通貨基金の管理下に入ってしまった。これを見たミャンマー政府の軍人たちは「市場は恐ろしい」と考えを変え、大和の後押しで成立直前だったミャンマー証券取引法の草案は封印され、証券取引所構想も頓挫した。その後も日緬の関係者は株式市場の立ち上げを模索してきたが、民主活動家のアウン?サン?スー?チー氏の度重なる軟禁と米国などの制裁、ミャンマー経済の悪化などがあり、実現しないままだった。

 潮目が変わったのは、2011年のテイン?セイン政権の誕生だ。ミャンマー国軍出身のテイン?セイン大統領は就任後、周囲の予想に反して政治?経済改革を断行した。スー?チー氏と歴史的な会談を行い、政治犯を釈放し、米国との関係を改善した。自動車の輸入規制を緩和したほか、銀行などミャンマー企業に限られていた業種の対外開放を進めた。こうした中で再び証券取引所設立の機運が盛り上がり、日本の財務省がミャンマー証取法の整備の支援に乗り出したほか、日本取引所グループも支援に名乗りを上げた。このほか金融庁がミャンマーの証券当局の立ち上げ支援に動くなど官民が支援体制を整えていく。14年には、日本側の大和証券グループと日本取引所グループ、ミャンマー側のミャンマー経済銀行との合弁でヤンゴン証券取引所を設立。16年3月には、第1号となる投資会社の「ファースト?ミャンマー?インベストメント(FMI)」が上場し、取引が始まった。

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